作曲家・芹澤廣明氏、70歳で全米デビュー「いくつになっても期待に応えたい」(夕刊フジ)

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【「少女A」作曲家激白 ヒット曲舞台裏】

 チェッカーズと組んだ最後のシングル「Song for U.S.A.」(1986年)は作曲家、芹澤廣明(70)のアメリカへの思いを込めた曲だった。

 「チェッカーズを手がけていたころ、これだけ売れたら、この後どうやって生きていくんだろうと思っていた。で、やっぱりアメリカに行きたいと。でも実際に挑戦するのは60歳前になってからだったけどね」

 幼いころから洋楽が好きだった。10代でギターを手にすると、チェット・アトキンスやハンク・ウィリアムズといったカントリーを“耳コピー”したものだ。

 アメリカは夢の舞台だった。60歳を前にしたとき、英語で交渉できる仲間を得たことで、本格的にアメリカに挑むことに。これまでのキャリアはあってないようなもの。大いなる挑戦だ。

 「人生は一度だけだから、何かやりたいことがあるなら、やっておけばいいんです。人はいつか死ぬんだから、やっとかないと悔いが残るよ。もちろん不安はあったけど、メロディーには自信があったからね」

 楽曲を作っては、アメリカのレコード会社やラジオ局など1000社に音源を送り続けた。道のりはやはりたやすくはなかった。しかし、次第に反応が返ってくるようになった。そんな試行錯誤の中で、海外アーティストに楽曲を提供することも増えた。

 「やっぱり向こうはブルース。演歌とは違う。それは分かっているけれど、ポップなものを作るのは難しい。アメリカの市場って、心から生まれてきた楽曲じゃないと受け入れられない。作為がある曲はダメなんです」

 そして、ついに自身のボーカルでシングル「ライト・イット・アップ!」を5月に発売した。そのサウンドもメロディーも洋楽そのものだ。

 「70歳で全米デビューなんてそうないからね。チャンスをもらったからもっと頑張ろうと。いくつになっても期待に応えないとダメでしょう」

 そう思うのはこんな理由がある。

 「僕自身より『タッチ』や『少女A』のほうが有名なんですよ。僕のことはみんなあまり知らない。だからもっと頑張らないとね」(おわり)

 ■芹澤廣明(せりざわ・ひろあき) 作曲家。1948年生まれ、70歳。横浜市出身。ミュージシャンとしてバンドデビューを果たすも、ヒット曲に恵まれず、75年に解散。作曲家としては「少女A」「涙のリクエスト」「タッチ」などヒット曲多数。

 5月24日、米ニュージャージー州のレーベルから、シングル「ライト・イット・アップ!」で歌手デビューを果たす。

【どんなタイプでも解決できる】みたいに言ってるのが
ちょっと【インチキくさい】感じがするのよね

わたしが気になっているのはコレ・・・

よく公式サイトとかに出ているモニターさんって
成功したから、代表例として出演しているわけで・・・
全員が【必ず】成功するとは限らないよね。

かといって
実践者のリアルな口コミを読んでると
かなり高い効果を実感できるみたいだよね。

信じて、試してみようかな

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