先月30日まで東京・日生劇場で上演された舞台「シラノ・ド・ベルジュラック」。フランスの名古典で、映画化もされている。「言葉」がモノを言う舞台である。
シラノ役は俳優の吉田鋼太郎(59)。最初から最後までほとんど出ずっぱりで、しかもせりふ量が半端ではない。それでも吉田はシラノをきちんと描き尽くした。
微妙な表現、繊細な表現、文学的な表現は「めんどくさ」とばっさりと切られる昨今。緊張の度合いも、料理のうまさも「ヤバい」のひと言で済ませる感覚は本当に貧困だ。なんて、主張もまたバッサリとやられるが。
シラノは剣の達人だがそれ以上に言葉の達人である。舞台は17世紀のフランス。女優の黒木瞳(57)が演じる従妹のロクサーヌに恋心を抱くが言い出せないでいる。
その理由は自分の巨大な鼻。高さ約10センチ。大きく目立つ。文豪、芥川龍之介の短編「鼻」の和尚のように垂れてはいないが、コンプレックスに違いない。
ある日、ロクサーヌから若い兵士のことが好きだと打ち明けられる。自分より若くかっこいい。ロクサーヌはそこに引かれたが、見栄え以上に重視していたのは、言葉の使い手かどうか。
若い兵士はからっきしダメ。安っぽく、知性をまったく感じさせない。助けを買って出たのがシラノだ。窓下からロクサーヌに言葉を届ける若い兵士の陰で言葉を伝える。若い兵士になりすまし手紙を書き続ける。ロクサーヌは、その言葉にメロメロになる。
そしてシラノに、たとえ若い兵士の姿形が戦争で見るも無残になっても愛し続けられると伝える。その言葉にシラノは、ロクサーヌは見かけではなく男性を選ぶのではないか、であれば自分の鼻でも大丈夫ではないかと思いをはせる。
戦場で若い兵士は命を落とし、ロクサーヌは修道院に入る。シラノは毎週末、見舞いに通うがすべてを打ち明けるタイミングを失ってしまう。その切なさを吉田は全身で体現する。見る者によっては勇気の象徴に映る。
SNSで簡単に言葉を発信でき、誰もが自分は文章が書けると思い込んでいる時代。正しく美しく、言葉を尽くしたいと思い起こさせる舞台だった。
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